法人概要

基本理念

ノーマライゼーションの理念(※)に基づき、法人の経営する施設及び事業を利用する人(以下「利用者」という)の人としての尊厳を守り、 権利を擁護し、利用者自身の自己選択、自己決定、自己実現を支援し、障害を持つことによって派生する二次的障害の克服を目指し、 利用者が社会の構成員として、地域社会の一員として、心身共に健康で豊かに成長することを目的とします。

※ノーマライゼーションの理念とは

 障がいがあり支援が必要な人や、高齢で介護が必要な人が一定の場所に隔離されて生活するような状態はノーマルな社会とは言えません。
 障がいの有無や、年齢・性別にとらわれず共に地域の中で「普通に暮らす」姿こそがノーマルな社会だと言えます。
 1959年デンマークで制定された「知的障害者法」には、バンク・ミケルセンが提唱したノーマライゼーションの理念が盛り込まれています。
 日本でも1993年に制定された「障害者基本法」では、施設サービス(収容保護)から地域社会での共生への転換を目指しています。
(ブリタニカ国際大百科事典・デジタル大辞泉参照より一部引用)

理事長プロフィール

理事長 長谷川淺美

  • 1948年 茨城県かすみがうら市生まれ。現在も同市在住。
  • 1990年12月 父が立ち上げた社会福祉法人白銀会の設立時より法人運営に関わる。
  • 1991年9月 知的障害者入所施設しろがね苑開設時に施設長に就任。
  • 1995年5月 前理事長の死去に伴い、法人理事長に就任。現在に至る。

一般社団法人 茨城県心身障害者福祉協会 副会長
茨城県知的障害者サッカー連盟 理事長

設立のきっかけ

 子供のとき母と観た白黒の映画『名もなく貧しく美しく』。男の子を持つ聾唖(ろうあ)者の夫婦の日常の物語。 夫婦は手話で話し、子供は聞こえますが、両親との会話は手話です。夫婦を演じるのは、小林桂樹、高峰秀子。
私はこの時初めて手話という言語があることを知りました。聞こえない人が、私の知らない言葉を使っています。 ただ美しいと思えました。母が何故この映画を観に私を連れて行ったのかは、今も解りません。 自分が高峰秀子のファンだったというだけの事かもしれません。

 結婚して埼玉に移住しました。夏になると毎週土曜日にデパートの屋上のビアガーデンに主人と二人で行きました。 すると近くのテーブルに数人の聾唖者が、ほぼ同じ時間にやって来ます。 そこには手話が溢れていました。静かな会話ですが、楽しそうに表情豊かに手と指が行き交います。 もう一つの言語、もう一つの文化がすぐ近くにありながら、私には全く解らない世界でした。
 その後、地元の手話サークルに入りました。聴覚障がいを持つ人達との交流が始まります。 ボランティアでの手話通訳、要約筆記通訳をするようになりました。 聴覚障がいと知的障がいを併せ持つ子供たちと接することもありました。 ボランティアを通して県の社会福祉協議会とも関わるようになり、視覚障がい者、 身体障がい者グループの人達と接する機会も多くなりました。支援のあり方、支援の基本、 ハンディを持つ人達の生き方、そしていわゆる福祉というものの実態と制度を学ぶことが出来ました。

 そんな時期に父が、人生の集大成として自ら蓄積してきたものを福祉に役立てたいと言い出しました。 私は家とお墓だけ残しておいてくれれば、あとは全部福祉事業に使ってかまわないと答えました。 父は70歳を迎えようとしていました。いつでも前へ前へ進んできた人です。やると言い出したら決してあとへは引かない人です。 父と法人設立及び施設作りが始まります。出来上がったのが「社会福祉法人白銀会」であり、「知的障害者授産施設しろがね苑」です。

創設者 長谷川正内(1992年撮影)

 翌年の1991年9月に、しろがね苑は開苑しました。父は76歳になっていました。 それから3年間、父は毎日、苑に通い、仕事をしておりました。入所利用者は父にとっては50人の孫たちだったようです。
 「白金も黄金も玉もなにせんに、まされる宝、子にしかめやも」
山上憶良の歌ですが、私への手紙のなかに書かれていたものです。
どんな財宝よりも何よりも、大切な宝物は我が子だということです。

日光戦場ヶ原レクリエーション(2004年頃撮影)

 しろがね苑を開苑した時に思ったことは、当時の障がい者施設は何処の施設を見ても施設入所の入り口はあるけれど、 施設から出て行く出口は無いという状況でした。施設に入ったらずっと何十年も同じ場所で暮らすのです。
 施設に行って入所している知的障がいのある人と話すとき、この人働けるのでは?と思う人がいます。 施設って何なの?何をするところ?指導って何?(当時は職員を指導員と称した)
 しろがね苑は出口を創ろう、出口の先に待っているものを見せてやろう、4年間大学に行くとするなら、 その4年間で企業に送り出せる人にしよう。いち市民として暮らせる人にしよう。 このころの施設は知的障がいのある人たちに衣食住を整備して安全に暮らす(保護する)ことを目的としました。
 従って、当時の知的障害者施設(知的障害者更生施設と授産施設)で、ハンディのある人たちを育てて行くという発想はあまりなかったように見えます。 むしろ、働く力とか、育つ力とか、就労に結びつく力とかは、ごく一部の人のみが持つもので、 大半の知的障がい者にはそのような力は無いものとして見ていたと思えます。

 支援の基本の形は、盲導犬にあると考えます。盲導犬は主人たる飼い主が指令を出さなければ動かない、 ひたすら待機して、指令を待つ。指令が無ければ何時間でもひたすら主人の傍らに伏して待つ。 五感を研ぎ澄まして、いつ指令があってもすぐに動ける状態で待つ。声も発せずに。
 そして指令が来れば、間髪を入れずに指令通りに行動します。主人の要求に基づいて、その要求通りに、 それ以上でもなく、それ以下でもなく、要求に沿って行動します。 そして、主人に危険が迫れば自身の身を挺して守るのです。たとえ命を失おうとも。
 支援の基本は、支援を必要とする人が必要とする支援を、必要な時に、必要とする量、質を、 支援を提供するにふさわしい、あるいは支援する人が望む人材で届けること。 ヘルプのサインはその人によってさまざまに表現されます。
その人を良く知らなければそのサインは見えません。
 ともすると支援と称して余計な手助けをしてしまいがちになります。余計な手助けは本人のためではなく、 支援している者の、支援しているぞという自己満足に過ぎません。

 1995年、父は79歳で彼方の岸へ旅立ちました。充分に生きた人生だと娘として思います。 共に働くスタッフについて、「部下は深く愛せよ」、何か事を起こそうとするとき、「始めは処女の如く、後は脱兎の如く」進め、 常に「覇気と健康」が大事だとする心得を、父は娘に残してくれています。
 父は人生最後の仕事として福祉事業を選びました。自身が積み上げてきた知識や財産をこの事業に注ぎ込むのです。 家族も賛成しました。何のためにでも、誰のためにでもなく、自分の最後の仕事は世の中へのお返しなのです。 これまでの人生で得たものの全てを、今度は福祉として世の中へお返しするのです。
 父の想いと法人を引き継いだとき、これからの私の半生は法人と施設と知的ハンディを持つ人達とともにあるのだと思いました。 知的ハンディを持つ人達に生かされているのは私であり、いつも背中を押してくれるのは彼らなのです。

社会福祉法人白銀会 法人概要

  • 名称

    社会福祉法人 白銀会(しろがねかい)

  • 創立

    1990年12月

  • 本部の所在地

    〒315-0005 茨城県石岡市鹿の子4-16-5

  • TEL・FAX

    TEL.(0299)22-3215

    FAX.(0299)22-3220

  • 事業所規模

    • (1)基本財産:7億2千7百万円(2016年度決算額)

    • (2)職員数:72名(パート職員:約15名)

    • (3)事業所数:5か所(利用者数:約130名)

    • (4)グループホーム数:13か所(利用者数:約70名)

沿革

  • 1987年4月

    故・長谷川正内(前理事長)と長谷川淺美(現理事長)の親子が、地域社会に直接貢献するため創立準備を開始。

  • 1990年12月

    社会福祉法人白銀会を設立。

  • 1991年9月

    知的障害者授産施設しろがね苑を開設。

  • 1996年4月

    最初のグループホームを開設。

  • 1999年5月

    知的障害者授産施設銀の笛を開設。

  • 2009年4月

    ワークセンターしろがねを開設。

  • 2014年12月

    トラットリア・アグレステを開設。

  • 2017年4月

    たいようを開設。

組織

白銀会後援会

社会福祉法人白銀会が運営する施設、および施設の利用者に対し、側面から援助、 支援することを通して、社会福祉の向上と、充実を目指す組織です。

【会則】

会費:年間一口10,000円、一口以上です。

特典:会員には年一回、しろがね苑のオーガニック野菜を届けます。

白銀会家族会

家族会は、白銀会が運営する施設利用者に対し、作業訓練、生活訓練、教養の向上等、 白銀会の計画方針に合わせ、利用者の自立を家族として援助するとともに、会員同士の連携を密にし、 地域との交流を広げることを目的としています。

ご相談・お問い合わせはこちらから